不穏と平穏とそのあいだ、いがらしみきお『今日を歩く』(IKKICOMIX)
2015/12/02
『ぼのぼの』の原作者いがらしみきおが休刊となった月刊IKKIのWEBコミックサイトで連載していたお散歩漫画。ほのぼのとした雰囲気を想像して手に取るとそのギャップに驚く。
読んでいて「なんだろう、これ」と困ったのが正直な感想だ。
著者が「定点観測」と呼ぶ15年間歩き続けたお散歩コースは少しおかしいことが起こる。トランプを二枚続けて拾ったり、財布が道路の真ん中に落ちていてそれを警察に届けに行ったりと。しかし、そこでエッセイ漫画によくある「クスリ」と笑える感じや人と人との交流が描かれるわけではない。
日常の哲学的考察という趣より、むしろ人々がふと見せる表情や事物への見方に少し表れる「邪悪さ」にぎょっとする。震災のあと近所の縁側でよく見かけた猫がいなくなって、犬の置物がどんどん風化していく描写が怖い。や、不気味・・・形容しがたいといったほうが正しいかも。
この不穏さこそいがらしみきおと言う人の凄さなのかもしれない(『ぼのぼの』や『忍ペンまん丸』が例外的なのかも)
「思えばこの頃は私も家族も絶不調だった。娘は就活に翻弄され、嫁さんは自分に翻弄され、私は何に翻弄されているのかわからなかった」
自分は自然に関する静謐さ、ふとした瞬間に感じる四季の趣といった機微があまりわからない。鈍い。だからこそ、ここに描かれた日常の破れ目が見えてしまっているかのような不穏さに心を惹かれる。妄想かもしれないがこの漫画には東日本大震災直後の街の感覚が出ていた。
面白いのがこの不穏さ漂う世界に浸っていると、だんだんとそれも人の側面の一つと慣れていき、出会う人々に愛着が湧くことだ。
それをもっとも感じたのは「テクルさん」のエピソードである。春夏秋冬すべての季節に関係なく長靴のような靴を履き、著者を見かけるとわざわざ車道に降りて凄い速さでテクテクとすれ違う年齢不詳の地味な服装をした不気味な女性テクルさん(厚化粧)
ハッキリ言って怖い。しかも、いがらしみきおの絵も相まってその不気味さは得体のしれないものがある。しかしある日スーパーでこれまで見たことのない良い表情で笑うテクルさんを著者は見かける。
テクルさんが何をしているか、どこに向かって歩いているかはわからない。
他にも笑いながら大股で歩くオジサン、常に眉間に皺を寄せた不機嫌な女の子、「山から来ました」とあいさつされたような気がして「やまからくん」と名付けた犬なども魅力的だ。事実や「内面」のわからない、著者が定点観測している世界だからこそ逆説的に出会う人々が持つ複雑さに触れることが出来る。
本当に不思議な漫画である。本書のあとがきで著者が述べている。
「私は私小説というか、私漫画を描くつもりでした。しかし、それを描けたかと言うと疑問です。苦しまぎれに、ただのエッセイ漫画や実話漫画に逃げてしまったところもあります。では失敗作かと言うと、失敗したとは思っていません。あくまでトライしました」
やはり著者にとっても掴みかねている漫画であったようだ。
けれどこの把握しづらい漫画についての文章を書いているうちに、いつの間にかこの世界を好きになっている自分に気づいた。もう少しこの散歩の続きを見たいと思っている自分に。
↓公式サイトで漫画の立ち読みができるので是非とも。
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