桐島の監督は今回もやってくれた、映画『紙の月』評(監督:吉田大八)
2015/12/02
(後半にネタバレ)
・教会で讃美歌「荒野の果てに」が響く中一人の女の子が教室でお金を一枚一枚数えている。そこに『紙の月』という文字が中央に浮かぶ冒頭の場面からとにかく息が詰まる。
続く場面は私服から銀行の制服へ着替える一人の女性。抑制された制服に身を包んでいく窮屈さ、髪をまとめあげる手つき、それが宮沢りえだとわかってもその息苦しさの感覚は続いたままだった。
『桐島、部活やめるってよ』で日本アカデミー賞を席巻し映画ファンに衝撃を与えたあれから二年。『紙の月』は吉田大八監督の最新作である。原作:角田光代×主演:宮沢りえということで公開前から様々な広告が展開され一般的な知名度も高く、しかも映画ファンにとっては『桐島~』以来の吉田大八監督の映画と言うことで今回も何かやらかしてくれるのではないかという期待も高かった。
そして見た感想を一言で言うなら「また、やってくれたぜ!」という感じ。
あらすじ
銀行で働く主婦・梅澤梨花(宮沢りえ)は細かな仕事への取り組みが評価され最近パートアルバイトから契約社員となった。家では優しい夫がいる、傍目には順風満帆な生活。だが梨花自身は何か物足りなさを感じていた。
そんなある日、偶然にも顧客営業の訪問先で出会った大学生・光太(池松壮亮)と駅で再会。たどたどしく自分を慕う彼の好意にいつしか彼女の心は動き、ついに一夜を共にする。彼との逢瀬を重ねる日々、
しかしある時光太の祖父から彼には借金があることを聞かされてしまう・・・。
感想
・角田光代の原作においては犯罪を犯した「梨花」を登場人物たちが過去現在絡めて語っていく構造であるが、映画では梨花の現在の話に幼少期の回想が挿入され彼女の内面に少しずつ迫っていくスタイルとなっている。
とにかく平凡な人が徐々に一歩ずつ道を踏み外していくディテールの積み重ねが見事で、やってはいけない最初の一歩を踏み出す時から「ああ・・・」と納得させられてしまう。
顧客のお金を預かった営業の帰り、梨花はデパートの化粧品コーナーにふらりと吸い寄せられ店員に勧められるがままに商品を買ってしまう。しかし、たまたま一万円が足りない。
どう考えても買うのをやめるべきなのに、このとき彼女はある種たががゆるんでいた。若い大学生との交際、平凡な日常からの脱皮、ついに彼女はバッグから一万円を取り出し買い物をする。
すぐさまATMでお金を引き出し、顧客のお金に一万円を「補填」する。金額は変わりない、だが彼女の心には何か変化が起きてしまう。ここからお金の感覚が徐々に変化していき「一万円」の段階にはあったヒリヒリとした金の実在性も輪郭を失いはじめる。それとともにだんだんと宮沢りえが妖艶に変容していく。最初こそ年を取ったなあ宮沢りえ、と思っていたのが後半には「美人だ」と納得させてしまう演技も凄い。
宮沢りえだけではなく、「母性本能をくすぐる若い大学生」を演じる池松壮亮も「無表情でまったく笑わない」後半のキーキャラクター小林聡美も銀行員でありながら奔放で何か目に凄味がある大島優子もとにかく見終わってから全員の表情と台詞が頭に浮かぶ強烈な印象を残している。
やってはいけないことと知りながら止まらない快楽を求めること、その両義性を抱えたまま徐々に様々なことが麻痺していく梨花の感覚は、観る側にとっては画面に張り付いていた息苦しさからの開放ともなる。
しかし、それはあくまで麻痺によるものだということを再確認させる中盤からの描き方が、ああ確かに吉田大八の映画だということを思い出させてくれる。若干の物語的な粗があるものの作品の重さ、面白さは近年の邦画の中では群を抜いていた。『桐島、部活辞めるってよ』のファンには『桐島~』に近いラストの「ある場面」を見てほしい。
感想(ネタバレあり)
奥底ではまずいと思っていても止まらない快楽がついに解けるあたりの描写がこの映画は実にうまい。
映画で頻出するキーワードに「ありがち」という言葉がある。
これは大島優子が演じる相川恵子が支店長との不倫をしている自分を自嘲しての言葉でもある。飄々としながらどこか冷めている大島優子が「私の手を監視してくれませんか。気が狂っちゃいそうで・・・」と宮沢りえに詰め寄る演技は背筋が凍り、観客はこの人物が何かをしでかすのではないかという予感を持つ。
しかし、何事も起こらない。
横領の事件がばれそうになったとき梨花は支店長に不倫の件と粉飾の事実で脅迫を行う、けれど相川はあっけなく地元の公務員と結婚し銀行を去ってしまう。
彼女だけじゃなく、最初の嫌な老人にしても、夫にしても、不倫相手の若い大学生にしても梨花がこうだと思っていた事実が次々に間違っていたことに気づいていく、世界はパタパタと反転していく。いや、そもそも世界は「ありがち」だった。凡庸であった、ただ一人彼女を除いては。
微妙にすれ違っていった物語の果てに梨花だけは「ありがち」の存在ではなくなり、元には戻れなくなった。
そしてラストの小林聡美演じるより子との会話だ。横領の件で詰め寄られ、梨花は自分がみじめだと告白する。
それに対してより子は「あなたはみじめなの?」と梨花に問う。「あなたは私が思いもしないことをやってのけたんでしょ?」と予想もしない問いかけにその瞬間、梨花の世界は本当の意味で反転する。
自分が初めて不倫をしたこと、初めて枠を外れた朝帰りに「紙の月」を見たことによって「お金」というどこまでも実体のない存在に気づいたことを梨花は告白する。
より子はそれに対して「お金で自由にはなれない」と言う。「あなたはここでおしまい」と告げる。
次の瞬間、梨花は窓ガラスをたたき割り、より子に言う「一緒に行きませんか?」と。
枠から外れることを考えつつも、枠から外れることはない者と枠を外れてしまった者、このまったく異なる価値観をもったものがギリギリまで肉薄し対話するという台詞の応酬は『桐島、部活やめるってよ』のラストシーンを思い出させる。
背後には様々な人々や想い出が画面に現れる。だが、到達してしまい、さらにその先へ向かう者として梨花はすべてのありがちを振りきって走る。物語的な出国できるのかという粗は置いておくとしても、自分はこのスローモーションの動きに胸が震えてしまった。
事件の後も変わらず銀行で業務を続けるより子は修復された窓ガラスを眺める、そして梨花はタイの雑踏に消えていく。映画の終わりにあるその後ろ姿は善悪を超えた「何か」として生きていく決意をしたドラマ版桐野夏生の「OUT」や『羊たちの沈黙』を思い出させる光景だった。
ポニーキャニオン
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