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チベット映画『オールド・ドッグ』の感想と講演会のレポート(早稲田祭一日目)

      2015/12/02

11月1日は早稲田祭へ。

目的はサイトでも告知したチベット映画『オールドドッグ』の上映会と石濱裕美子先生による講演会。

昔のパンフレットとか見ると学園祭ではけっこう映画の上映とかしてたようで。
最近では声優のトークショーが異常なほど増え、そういうもんかと思いつつ寂しい傾向だと思っていたのでちょっとばかり告知にも参加。

あらすじ

舞台は中国の青海省東南部である「アムド地区」、その山間の草原で遊牧をしつつ暮らす老人がいる。息子とその嫁と一緒に伝統的暮らしを保持している彼はチベタン・マスティフという老いた犬を飼っている。しかし最近その犬種が盗まれる事件が多発していた。チベタン・マスティフという犬種が中国の富裕層に高く売れるためだ。そのため息子は盗まれるぐらいならと老犬を町の中国人ブローカーに売ってしまう。その行為に老人は怒り何とか犬を取り戻すことには成功するが・・・。

チベット人監督ペマツェテンの長編第3作『オールド・ドッグ』は、一見静かな筆致で物語は進んでいくが、曇った空が物語全体を覆い絶えず不穏な空気が場面に漂っている。そうした風景や登場人物の言動など至る所に現在のチベット人が直面する様々な問題が暗示されていることに特徴がある。「2011年東京フィルメックス国際映画祭・最優秀作品賞受賞」「2012年ブルックリン国際映画祭・最優秀物語賞受賞」
 

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まずは石濱先生による上映前のレクチャー

・チベットの地図を見て、チベット自治区=チベットではないことの説明。
簡単に言うと、中華人民共和国の設立以降の地域が「自治区」である。物語の舞台になる「アムド地区」はそれ以前に併合されていたため「中国青海省」となっているが伝統的区分では「東北チベット」である。

 

・現在の中国においてはあらゆる表現手段が中国の統制下にあること。中国政府に対する批判的な言動は遮断される状況、つまりチベット人であるペマ・ツェテン監督はチベットの状況を直接描けない

 

・2005年の朝日新聞の記事を参考にチベタン・マスティフという世界で一番大きい犬の説明。外国産よりも大きい「国産」(チベット)の犬という観点が愛国的な中国人に熱狂的に支持されている。そのため物凄い高額で取引されているという現状がある。

 

  • 以下の特徴に注目してみてほしいとのこと。(配布資料より抜粋)
    1、馬に乗る老人VSバイクに乗る若者
    2、高原で遊牧するチベット人VS町で教師や公安の職につくチベット人
    3、ブローカーはチベット犬の値段を相手によって変える。犬の時価は?
    4、なぜ町はいつも暗く人気がなく曇天なのか?
    5、老人はなぜタバコを断るのか?
    6、老人の息子はどちら側の人か?
    7、不妊のチベット人、テレビから流れる貴金属のCM、それを見る無気力な視線
    8、マスチフ犬は何を象徴しているか?

 


鑑賞後の自分の感想(ネタバレあり)

・中国の言論状況

映画を見れば、上記の意味することはだいたいわかる。上映後の講演会で先生が「説明するのは野暮だけど」と言っていた通り、チベタン・マスティフとチベットの状況がある程度分かっている人には場面のいたるところで暗示されているものがスッと入ってくる。

一言で言うならばこの映画は都市開発が進むチベットの現状を描き出している作品だ。より詳しく説明すると資本の流入によって都市化が促される村という普遍的なテーマに加えてチベットの民族問題が間接的に描かれている

中国国内においては全ての中国映画は政府の許可を撮らないと一般の劇場公開はされない。インタビューによるとペマ・ツェテン監督の全ての作品は中国の検閲を通過して公開されている。この作品もシナリオの段階から審査を受けたらしい。つまり政治的なことを言明したくても、それをそのまま描けないシステムの中で造られた映画が『オールド・ドッグ』なのだ。

そう考えると画面や言動に暗示されているものは表現の自発的選択ではなく社会的状況によってそうせざるをえなかったように思われる。しかし、そのことによって映画としては、普遍性とともに不穏さが静謐な画面構成にもかかわらず漂っているという稀有な作品となっている。緊張感のためか見ていてもまったく眠くはならない。(だからこそ溝口健二、キアロスタミやベルイマンの映画を好むという監督の発言も面白い)

 

・暗示されているもの

頑固な老人と犬との関係を物語の中心に置きつつ、チベットを描いた作品によく見られる子供が出来ないというテーマや(これは完全にチベットの現状をあらわしている。現在のチベット難民社会においては日本より出生値が低い)1000元から3000元、そして物語のラストには国産の犬と言う希少性ゆえ20000元まで上昇していく資本の論理。

そして1000元という最低価格はチベット人にだけ漢人から提示され、チベット人の家のテレビでは絶えず宝石の広告が流される。これらの表現は暗示的ではあるが寓話的なものではない。先生によるとチベットのテレビでは常に金の仏像などを売っているショッピング番組が四六時中放映されてるらしい。

講演で学ばせてもらったのが、中国人はよく煙草によってコミュニケーションを図るという事実である。中国人同士の商売でもまずはタバコの交換から入るらしい。だからこそタバコを頑なに断る老人というのはコミュニケーションの拒否以上のものを意味している強い意志表明である。

自分が見ていて気付いたこととして、人物よりも風景が主軸となっているような遠景の画面構成が多いことだ。人物に焦点があてられるときでも、風景を見ている人々の顔や背中が映される。そう考えると雄大な山脈を見る老人とさびれた街を眺める息子という対比が面白い。息子が見ている風景と場違いに流入される「工事の音」が表しているのは伝統的なものが破壊され、別の論理を持った何かが構築されていることである。

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・物語の結末

あらゆるものが閉塞感に包まれているそのような状況の中で、この物語は泥棒に渡すぐらいならと老人が犬を絞め殺すという悲劇的な結末を迎える。その行為に息を呑んだが、ある意味で物語に漂う不穏な空気によって暗示されていたことでもある。息を呑んだ理由は淡々と進んだ物語から最後の決断への移行があまりにスムーズで手法への驚きと共にその描き方への倫理的問題が喚起されたからである。

たとえ、監督が「あの場面では、それまであまり映さなかった広い空を画面に入れています。老人にとっても犬にとっても、抑圧された状況から解放されたことを表しているのです」と言っていても、鎖に繋がれた従順な老犬を柵で囲われた空間(これもまた暗示的だ)で殺し、草原の中をさまよい歩く老人にそうした解放は見てとれない。

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しかし、しばらくして考えたのは犬を殺すということが倫理的かどうかを解釈することではなく、そうした倫理的に許されないかもしれない苦渋の決断を描かざるをえなかったという現在の状況を見るべきなのだ。他者へと攻撃が向かわず、犬を殺してしまうという絶望は間違いなくチベタン・マスティフという存在が老人・僧侶・国土・政治というチベットの状況すべてをあらわしていることを意味している。


上映後の講演会(概要)

・本土チベット及びチベット難民社会と国際社会の関係を年表を用いて説明。
重要なこととして2001年以降、中国がWTOに加盟し経済的な力をつけ始めてから国際社会が中国の人権問題について沈黙し始めている状況があるということ2013年からチベットの遊牧民は牧地から遠く離れた「生態移民村」に定住を強要されているという事実である

 

・「チベットは封建的な農奴制であったが中国の資本において幸せになった」という日本の左派や中国の平和主義運動ですら浸透している考えが、歴史学的な観点から見て間違いであり、中国がチベットを支配する理由付けは時代によって変遷していることの説明。

 

・ダライラマについての説明。科学者との対話や合理主義的な考えを取り入れ、自らのことよりもチベット人およびチベット社会がどのように生きながらえていくことが出来るのかを常に考えている姿勢。その意見は中道的であり一貫している力強さがある。チベットの伝統的価値観を脱却させ資本によって進歩させてあげたという意見がどれだけ傲慢であるかが浮かび上がってくる。最新作『思いやること』から怒りについての引用など。

 

(終わりに)

たとえ重いテーマであろうとも、こういう映画を軸に遠く離れた文脈を学び映画をより詳しく見ることは世界で何が起こっているかを知るうえで重要なことだと思う。なぜならば、そうした観点からこそ自国の状況や作品にも新しい視点が生まれるからだ。

しかし現状、そうした機会はますます失われマイナーな映画が見られる機会は映画祭でしかない。今回は東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所が共催で字幕をつけてくれたようで訂正映画の字幕監修を担当した方から、字幕は東京フィルメックスさんと契約しているプロの字幕制作者がつけたとの情報。申し訳ありません)音響や会場、人員の問題など映画上映の際には様々な問題があるが、そうした学会や映画祭事務局、各国大使館と協力をして学園祭という場で連動させるなどの方向で色んな可能性があるように思った。

300円でも500円でも一般の人からお金を取って、その分野に詳しい人に講演を依頼し、多様な見方を提供する、そうした映画学園祭がもっと増えてほしいし、協力できることは多そうだと感じた有意義な早稲田祭だった。

 

今回の講演者である石濱裕美子先生のサイト

白雪姫と七人の小坊主達

 

 

 

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