『ヒトラー暗殺、13分の誤算』感想、変わりゆく世界に一人の男が願ったもの
2015/11/26
1939年11月8日
この日、ミュンヘンのビアホールで演説をしていたヒトラーは講演をいつもの年より早めに切り上げて会場を後にした。霧による悪天候を考慮し、ベルリンへ帰るための方法を飛行機ではなく、少し時間のかかる列車にすることが急遽決まったからだ。
そしてヒトラー退席から13分後、会場に大きな爆発が起こった。
総統を狙った暗殺事件。すぐさま捜査が開始され現場近くをうろついていた一人の男が連行される。彼の名はゲオルグ・エルザー。
映画『ヒトラー暗殺、13分の誤算』は、その生涯に40以上も実行されたが、すべて未遂に終わったヒトラー暗殺事件のなかで何のバックボーンもない一人の家具職人が起こした特異な計画を『ヒトラー 最期の12日間』の監督オリヴァー・ヒルシュビーゲルが丁寧に描いた作品だ。
感想(ネタバレ少し)
顔の見えない灰色の人物が整列している中で、こちらをじっと見つめるエルザー役クリスチャン・フリーデルの見せる凛とした表情のポスターが素晴らしい。
ナチスがらみの映画が日本で上映されたとき、ほとんどの作品の邦題に「ヒトラー」とついてしまう現象が見受けられるが、この『ヒトラー暗殺、13分の誤算』は同じ監督の『ヒトラー最期の12日間』と対になるようにつけたと思われる。ナチス政権が終わる12日間の内部を描いた作品に対して、今回の作品は狂乱に踊る民衆の様子を見つめる一人の男という意味で原題は「Elser」なのだろう。
映画は口の片方が笑うとちょっとだけ上がる、そんな表情を見せるエルザーの決起に至るまでの状況を、取り調べと過去の回想シーンの交互に見せていく形式だ。
情熱溢れる女好き、暴力が嫌い、酒好きの父が嫌い、共産党に属することはしないがシンパシーを感じている、なにより音楽が好きで自由を愛する性格、彼の人生においてささやかだが幸福な情景が次々と流れていく。
そうした過去の回想が輝いているからこそ、対照的に現在の情景である苛酷な拷問は目を覆う痛さに満ちている。彼らの細分化された手際の良さにこれまで何人もの人々を拷問に手掛けてきたのだとわかる。
けれど、いくら取り調べしても彼の背後からは何も出てこない。ナチスの高官ミュラーは彼の行動原理が理解できず個人でやったとはどうしても信じられない(ただし秘密警察のネーベはエルザーへ何らかの思いを抱いている)ナチスにとって進歩は絶対であり、この進んでいる道こそ確実であり、国民の生活は向上していると信じているからだ。一時的には駄目になっているかもしれないが誤りはないと述べる彼らに対してエルザーは言う。ポーランド侵攻の非人道性、労働者賃金は上がっているという嘘、強制収容所の存在を。取調室における彼らの話は絶望的なまでに噛みあわない。
映画において印象的なシーンがある。
平和だった村にナチスの党員が徐々に増えていくと風景に曇り空が多くなるのだ。そして映画館に入ったエルザーはナチスの映像に恍惚とする人たちの姿を横目で見ていく。このみんなが狂乱の最中にいる中で横を見てしまうことの気まずさ、そしてそれすら許さなくなっていく街の雰囲気がただ悲しい。
そう、他人事ではない。見なければならない映画なんてこの世にはいくらでも存在するが、現状になにか怖さを感じている個人は「いま」見るべき映画である。歴史に挑んだ一人の市民がかつて存在したこと、しかしそれを決して英雄的に描かない作品の倫理は見る人に必ず示唆を与えてくれる。
感想(ネタバレあり)
計画前夜、時計の装置を改良して圧縮型の爆弾を演説台の上に仕掛けるエルザー、膝がボロボロになりながらもひざまずく彼の行為は、後半に出てくる留置場での神への祈りに近いものを感じさせる。
そうしたことを含めて彼をヒロイックに描けば観客の快感を高めるのは容易だっただろう。しかしオリヴァー・ヒルシュビーゲル監督は彼を決して英雄的に扱わなかった。変わりゆく世界で生まれた子供の将来、そして生活を考えなければならない一人の労働者としてエルザーを描いた。実際にヒトラーは暗殺されず、別の多くの者たちが犠牲となった。また、歴史にもしもを導入するならば仮にヒトラーの暗殺に成功しても、はたしてそれは許されることなのだろうか。この映画の倫理性はまさしくそこにある。
だから最後にエルザーはドレスデンの空襲を聞きながら、ダッハウ収容所で言うのだ。「僕も間違っている。皆も間違っている。」と。
では、どうすればよかったのか。映画はそれを安易に提示しない。しかし、逮捕直後すぐに殺されなかったことや行動の背景がわからなかったことも含め戦後ドイツにおいて評価の定まらなかったエルザーという人物を提示したことに最大の意味がある。この作品は何度もあの戦争を問い直しつづけている国だからこそ作り上げることが出来た優れた伝記映画であり、変わりゆく世界に歌を愛した自由人の姿は私たちにこう警告するのだ。いかに取り繕っても間違っているものは間違っていると。
2014年から2015年にかけて、様々な出版社からドイツやナチスに関する素晴らしい新書が刊行されたが、本書に関連してオススメしたいのは中公新書から出版された『ヒトラー演説』だ。あの誰もが知るヒトラーの演説や身振りが、どういう状況でいつ生まれたのかを当時の新聞や演説内容の分析によって明らかにするという膨大な資料の果てに生み出された凄い本である。
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