映画『リスボン物語』評(監督:ヴィム・ヴェンダース)
2015/12/02
In broad Daylight even the sounds shine.
明るい太陽の下では音さえも輝くFernando Pessoa(フェルナンド・ペソア)
Contents
物語の始まり
画面に大量の写真、そして新聞、バサバサと落ちてくるそれらの印刷物をかきわけ一本の手が手紙を見つける。
そこには「助けてくれ!録音機材をもってリスボンに来てくれ」という映画監督の友人フリッツからの文章が書かれていた。
かくして主人公フィリップはリスボンに向けて出発する。ヴィム・ヴェンダース監督の映画『リスボン物語』の始まりだ。
1994年、欧州の景色
ヴェンダースの多くの映画のようにこの映画は最初ロードムービーの形式をとる、ドイツからポルトガルまで車で行く決意をしたフィリップの運転席からは数々の景色が流れていく。
その流れが中断することはない。映画がつくられた1994年、欧州統合で国境の検査は廃止され、検問の度に車が止められることは無くなったからだ。彼が今どこにいるのか、ラジオに流れる音楽からここはフランス・・・今度はスペインあたりか、となんとなく理解できる。
「国境のないヨーロッパ」・・・危険だぞ密輸品を持ってるかもしれないとフィリップはうそぶきながら夕景にマ・パトリ、ミア・パトリア、マイホームカントリーと次々に様々な言語で「俺の故郷」とつぶやいていく。
映画に流れる様々な音
道中、パンクなどの小さな苦難を乗り越え、フィリップはようやくポルトガルのフリッツの家にたどりつくも友人の姿はなかった。代わりにいたのは近所の子供たち、彼らはそこで映画の手伝いをしていたという。
フィリップは仕方なく友人の残した映像に音をつけるための録音作業を始めていく。だがフリッツの情報を探しつつ、慣れない異国の地で言葉もわからないままポルトガルの街を放浪し始める彼の身辺には数々の不可解な出来事が起こる。
ここで物語はロードムービーからにわかにサスペンスの様相を呈してくる、
「家が全部消えたら彼らの秘密が明るみに出る」という不穏な言葉の数々、彼の後をつける謎の子供、何よりもフリッツの不可解な言動。しかし、ポルトガルの街に溢れる色彩と飄々と仕事をしていく録音技師の姿にこの物語はそうひどくない結末を迎えると見ている側は苦笑し魅惑的な音の数々が映画を駆け巡っていく。
フェルナンド・ペソアの詩
フィリップは友人が残した詩集を真夜中に読むのが日課になった。
ポルトガルの偉大な詩人フェルディナンド・ペソアである。
thought was born blind,
thought knows what is seeing.「思考は盲目だが見ることを理解する」
ポルトガル語で人格を意味し、フランス語で「誰でもない」という意味を持つペソア。その名が示すようにペソアの詩はアルベルト=カエイロ、アルヴァーロ・デ・カンポス、リカルド・レイスといった様々な人物の手によって書かれた。
そして「偽名」でも「無名」でもなく「異名」と呼ばれた彼らは現実には存在しない、彼らは完全にひとつの独立した人格を持ってペソアと対話をし膨大な数の詩を書いたのだ。
そんな馬鹿な、という合理的な声はペソアの詩を読むと起こる眩暈に沈む。「私はもはや私ではない」と言う言葉に通底する詩的な散文の数々は翻訳してもその柔らかな感覚が消えることはなく、この偉大なる詩人に対しては世界の多くの文学者が賛辞を送っている。
映画監督のフリッツはペソアに心酔していた。
「わたしは目でなく耳でものを見る」というペソアの詩句に始まり、後半のほとんどのページは下線が引かれていた。いなくなる直前まで残された映像にも「都市にそのまま溶けていたい」と乱雑に街をを撮影し映像を「意図的」に撮るということへの不信感を隠そうとしない。
二人の邂逅、フリッツの目指したもの
フリッツの影を感じるものの、なかなか出会うことのない二人は物語終盤あっけないほど簡単に邂逅する。
やっと会えたフリッツにフィリップは良い音が取れたと報告する。
しかし、その映像はもういらないんだと言うフリッツの様子はどことなくおかしい。そして言われるがまま付いていき到着したのは廃館となった映画館だった。
そこでフリッツは自分が何をしてきたか、これから何をするかを高らかに宣言する。
映像はファインダーでのぞくと汚染される。だから自分はここに誰も見ていない映像を保管することにしたと。彼は無媒介性というペソアの思考に心を惹かれ、何者でもない純真な映像を撮るため自分自身すら映像を見ず子どもたちを使い都市の様々な場所にカメラを設置させてたという。(フィリップを尾行していた喋ることが出来ない子どもの名前がリカルドというのも面白い。これはペソアの「異名」のひとつである)
フィリップの想い、物語の結末
原題に氾濫する映像のイメージを否定し、映画の100年を退行するようにサイレント映画を撮影し、もう何もできないと「何物でもない」映像の純粋性を求めたフリッツを、しかし前衛をきどった馬鹿野郎だとフィリップは否定する。
そこには聞いた音には近づけないかもしれないが、薄皮一枚で本物ギリギリのところまで肉薄している録音技師の職人的な矜持がある。音の純粋性を求めリスボンの街中を駆け巡った言葉の重みだ。
そして言う、まだ 人の心を動かせる、moveできると。
確かにフリッツはペソアに影響を受けた。しかし同じように無名の友人ペソアはフィリップの心をも動かしていた。その言葉をフィリップはフリッツに叩きつける。
「In broad Daylight even the sounds shine.」
「明るい太陽の下では、音も輝いている」
フェデリコ・フェリーニの死を報じた新聞記事で始まり、アイリス・アウトの手法、サイレント映画、『バスターキートンのカメラマン』など映画史への愛で溢れているこの物語はフィリップとフリッツが再び映画を撮り始めるところで終わる。
彼らが撮る映画の原初期のようなドダバタ劇がノスタルジーを回避しているのかはわからない。しかし、録音技師フィリップがペソアの詩から見出した音への信頼によってフリッツは再び映画を撮りはじめた。まだとるべき音がある以上、まだとるべき映像が残っている・・・というその信頼には創生から100年経った映画の重みとまだまだ「出来る」ことがあると思わせる軽やかさが同居している。
登場する詩に関して
ペソアの詩人としての性格上、断章の出典がどこから引用されたのかの判断は難しい。
なおかつ、この映画『リスボン物語』で登場する英訳本がどのセレクトかわからないこと。それに加えてヴェンダースはさらに、断章からさらに語句をばらばらに抜出して役者に言わせている節がある。
フィリップによってつぶやかれる詩はこう分けられる(不満はあるものの訳はパンフレットを参考)
①In broad Daylight even the sounds shine.
明るい太陽の下では音さえも輝く。
②I have wanted like sounds, to live by things And not he their’s
私も音のように所有されず独自の価値を持ちたい
③I listen without looking and so I see,
わたしは目でなく耳でものを見る。
英語で検索すると、以下の詩が出てくる。
①+②をあわせたものが出てくる詩
In broad daylight even the sounds shine.
On the repose of the wide field they linger.
It rustles, the breeze silent.
I have wanted, like sounds, to live by things
And not be theirs, a winged consequence
Carrying the real far.
これの出典が全然わからなかった。英語の研究書ですら『リスボン物語』からの引用と堂々と書いている。
③はここに所収されている(英語のみ確認)
Penguin
I listen without looking and so I see
Through the grove nymphs and fauns stepping a maze
Between trees that cast shade or dread,beneath Branches which whisper as they feel my gaze.
But who was it,did pass? No-one knows that.
I rouse up and hear the heart beat-
That heart which has in it no room for what
Is left after illusion has leaked out.
Who am I, I who am not my own heart?
そして、thought was born blind,thought knows what is seeing.は「35 Sonnets」に収録。
最後に、以下の引用はドイツ語での音読であったためわからず。
そこに電気はなかった。
蝋燭の灯りで私の手の下にある物を読んだ
ポルトガルの聖書のコリント人への手紙。
読んで感動した。私は無でフィクション。自分に何を望めよう?
何者だというのだ?愛に欠けている、この私。
愛に欠けている、この私。神よ、私には愛がないのです。
神よ、私には愛がないのです。ペソア1934年12月
・死の直前の詩は聖書にあるコリント書の「予言力と全知識を持ち、山をも動かす深い信仰を持っていても愛を持っていなければ 私は無に等しい。そう無に等しいのだ」を読んでのことだが、この部分は、園子温の『愛のむきだし』で満島ひかりが叫んでる部分でもある。
*『リスボン物語』は翻訳の問題や、EU統合という観点、映画史的にもっと面白いことを見つけることが出来そう。あと映画の中で三か所ぐらいにペソアらしき人物が隠れているのも監督の遊び心かな。
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