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【書評】『ちいさな酒蔵33の物語』(中野恵利・人文書院)を読んで微生物に思いをはせる夜

      2015/11/26

ブームを受けて日本酒の本が最近多数出版されているが、本書は酒蔵自体にスポットの当てられている点、特にタイトル通り大手ではなく「ちいさな酒蔵」を取り上げているところが際立っており、著者の日本酒に対する愛情を大いに堪能できる。

 

著者の中野恵利は日本酒バーの草分け的存在である『Japanese Refined Sake Bar 杜氏屋』のマスター、というわけでその溢れんばかりの知識に読んでいてとにかくワクワクする本だ。それが単なる日本酒の薀蓄や雑学の披露ではなく、33の蔵元の歴史や地域の特色、特徴的なラベルはいったい何をあらわしているのかといった知識全てが「日本酒」の味へ密接に繋がっているのだと上品な語り口で教えてくれる。

 

例えば、大阪の秋鹿酒造「朴」の説明はこんな感じである。

標高二五〇メートルに位置する能勢の気温は、夏は大阪市内より五、六度下回り、冬は氷点下まで冷え込むことがあります。いくつもの峠と、折り重なる棚田、麦わら帽子を目深にかぶった案山子は、目の前の田を荒らされてなるものかと、目を大きく開き、両腕を広げ、大地にすっくと立ち続けます。「秋鹿」の里は、美しい鄙の里。ここには、その明媚な風土をまるごと取りこむ酒造りがあります。(本書p17より)

 

実りの「秋」と創業者の名前から「鹿」の一字をとった「秋鹿酒造」は早い段階から、自営田で蔵元自ら酒米・山田錦の栽培をしたことで知られている。そのやり方が自分の畑で育てた葡萄でワインを醸造するフランスの「シャトーシステム」に近いといった知識が引用した能登の情景と上手い具合に調和していて、読んでいて実に穏やかな気分になってくる。

 

小さな会社ならではの苦労や経営の難しさも語られる。自分のような東京の無邪気な消費者からすると普通酒から純米酒への切り替えをどんどんすればいいのに、と前々から思っていたが日本酒の主流はいまだに普通酒、それを地元で売ることで利益を維持している蔵元も多いと知った。長年付き添ってきた地元の人は普通酒を好む人も多いので、その兼ね合いのなかで新しい世代の作り手たちの覚悟を決めた革新を丁寧に取り上げている。女性が多いのも本書の特徴だろう。

 

そういう意味で「生酛仕込み」「復古醸造」「熟成酒」と並ぶ目次のうち、始まりに「木桶仕込み」を置いているのは興味深い。木桶は今ではあまり使われない技法である。温度管理が難しく、微生物が入りやすいため味が一定ではなく腐敗というリスクも抱えているからだ。しかしそのやり方をあえて使う酒蔵を最初に取り上げていることに、微生物の力を信じて日本酒の複雑さを求める作り手たちの努力をしっかり見るという著者の強い決意を感じた。

複雑な味をしっかりと伝える著者の表現も実に斬新。「いづみ橋」というラベルのトンボが特徴的な季節限定「黒トンボ」の味を著者はこんな風に語る。

「黒トンボ」には最後まで犯人がわからないサスペンスのようにスリリングな香味を感じます。生元で仕込まれた「黒トンボ」は、骨格はしっかりしているのに、一本一本の骨は細く、ひとくねりした酸を想像していたらこれが意外とスレンダー。それはまるで、トラックバックとズームインを駆使したヒッチコックショットのようです。微生物たちのしかけた罠に味蕾はまんまと捕えられ、杯を重ねてしまいます。(本書p31より)

 

他にも、夜空にうねる火のような字体がラベルに書かれた「宙狐」、低アルコールの「明鏡止水La vie en Rose」、アミノ酸を下げることで軽快なにごり酒を実現した「湖雪」(フーシェ)、赤色酵母を使った天然のロゼ色が特徴の「雨後の月スパークリングアジア微紅」など飲みたい!と思わせる表現のオンパレード。

 

現在、国が主導で日本酒を海外に!という流れのなか、飲み放題の店や日本酒合コンなど華やかな日本酒のイベントも増えている。それもそれで楽しいが、たまにはちょいと立ち止まって、現場の作り手たちの熱意が伝わる本書を読みながら家で一人日本酒をちびりちびりやるのはいかがかしら。

 

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